五輪エンブレム問題でデザインにおけるコミュニケーションについて考えてみる

どうも、「いやぁー、デザインっって本当に素晴らしいものですね」と言ってしまいたくなるニシノハルオです。
先日、五輪エンブレム問題で制作されたアートディレクター・佐野研二郎氏が盗作疑惑について会見されていました。そこで作り手や関わる人たちの想いが垣間見れたような気がしましたので、述べてみたい。

「五輪エンブレム」記者会見

2015年7月24日に発表された2020年の東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムが、ベルギーにあるリエージュ劇場のロゴをパクったと、これを制作したデザイナーが主張したことが発端になりました。
東京五輪マーク、ベルギーの劇場とそっくり? : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

これについて、2015年8月5日に五輪エンブレムを制作したアートディレクター・佐野研二郎氏が記者会見でエンブレムの制作意図を述べられました。

この会見により、アートディレクター・佐野研二郎氏がゼロから構築、設計したものであり、盗作は事実無根と断言されています。

個人的な意見として端的に言ってしまうと「カタチは似ているが、コンセプトは全く違うもの。よって、リエージュ劇場のロゴデザインの盗作ではない。」と述べたい。

しかし、この会見の記者たちの姿勢は、似ている、盗作したのではという雰囲気があり、とても違和感がありました。

デザインはコミュニケーション

デザインとは、目的は「何かを伝える」ことであり、手段は「見た目」です。
人は相手に何かを伝えるために、想いを言葉に伝える。デザインも同じく相手に見た目(カタチ)で何かを伝えます。
言葉もデザインもコミュニケーションツールなのです。

「すいません」という単語でも、ごめんなさいと謝罪している意味やちょっとよろしいでしょうか?と尋ねる意味が含まれています。

これを言葉で発することで、相手はどのような「すいません」か理解することができます。

今回の五輪エンブレム問題も似たようなことが起こってると考えられます。
盗作したと主張したデザイナーや似ていると思った世間の人は、この出来上がったカタチだけを切り抜いた状態で判断していると思います。

五輪エンブレムが7月24日に発表した時に、エンブレム制作プロセスの説明もしていれば、コミュニケーションミスが無くせたものではないだろうか。
(それでも、ネットでは面白おかしく書き立てると思いますが、、)

デザインは誰のもの?

ロゴやエンブレムなど、シンプルにすればするほど、丸・三角・四角の組み合せになっていきます。
結果似たようなカタチになってくるのは、回避できません。
これを盗作、パクリと言っている人を避難できないと思っています。

なぜならば、人はどんな素晴らしい思考や思想があっても、結果で判断してしまうものだからです。

五輪エンブレムは誰のためかを考えていくと、(デザインの事について理解度が低い)一般の方です。
なので、一般の方に対して「似ている」思われてしまったらそれが、エンブレムの結果だと思います、今は。
会見で大会組織委員の方が、制作プロセスが一般の方まで知られるようになったことで、今後、一緒に育てていきたいということを仰られたように5年後、オリンピック本番が始まる頃、どのような使われかたをされているか楽しみだ。

シンプルとは簡単ということではない

一見、シンプルなデザインとは、簡単なように思われてしまうかもしれない。
また、誰にでも同じものが出来てしまうんではないかとも思われるかもしれない。

しかし、佐野研二郎氏がアートディレクターとしてこれまでの知識や経験を集大成として挑んだ作品と述べており、何度も考え悩んで生み出した結果である。

シンプルを目指すということは、ムダな情報を削ってより伝わるようにすること。そのために、もの凄い高い次元で思考していく作業が必要です。
そういったプロセスを通して出来上がった作品を、このような形で批判されてしまったのはどんなに作り手としてどんなに悔しいだろうか。

まとめ.デザインでコミュニケーションが容易に

前述したように言葉もデザインもコミュニケーションの手法です。
言葉は、共通のモノなのに、まだまだデザインはある一部の人のモノという考え方がある。

自分たちは、普段の生活で言葉を使い、義務教育のころから言葉の意図を学んでいます。デザインも同じように義務教育からデザインを学べる環境であったら、もっとコミュニケーションの取り方も変わってくるだろうなって思う。

今回の記者会見で佐野研二郎氏のデザインプロセスを聞くことが出来て、佐野研二郎氏のエンブレムに対する想いや情熱を感じ取ることができて感動してしまった。

この想いを理解できたら、盗作だ、パクリだと言えないだろう。

リエージュ劇場のデザイナーがどのような思わくをもって、主張、提訴に踏み切ろうとしているか分かりませんが、騒ぎ立てる輩がいなければいいわけで。。。

もっと、デザインを理解できて、デザインでコミュニケーションが簡単に取れるような世の中になってほしいなと強く思っています。

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